確かに、あらゆる画像を自由に作り出せる生成AIの進化を見ると、「既存のフリー素材サイトはもう役割を終えたのではないか」と感じるのも非常に頷けます。
しかし、現実のビジネスや公共の場においては、生成AIが普及した今の時代でも「いらすとや」にはAIでは代替しきれない独自の価値と強みがあり、当面は不要にならないと考えられます。その主な理由は以下の通りです。
1. 権利関係の圧倒的な「安心感」
生成AI(特に画像生成)は、学習データの著作権問題や、生成された画像が意図せず既存の著作物に酷似してしまうリスクなど、法的なグレーゾーンを完全に払拭できていません。企業や官公庁が公的な資料や広告を作る際、この「権利侵害のリスクがゼロではない」という点は致命的です。
その点、「いらすとや」は利用規約さえ守れば、著作権トラブルに巻き込まれる心配が一切ないという、実務において最強の盾を持っています。
2. 統一感と「あの絵だ」という親近感
Adobe FireflyやSoraなどの優れた生成AIツールを使えば、頭の中にあるイメージを高クオリティで即座に形にできる圧倒的な便利さがあります。しかし、複数の資料で「全く同じテイストのキャラクター」を様々なポーズで安定して出力し続けるのは、AIにはまだ少し手間がかかります。
「いらすとや」の絵は、日本中どこでも見かけるインフラのような存在になっており、あの絵柄があるだけで「親しみやすさ」や「分かりやすさ」が担保されるという一種のブランドとして機能しています。
3. プロンプト作成と検索のコスト
「こういう画像が欲しい」と思った時、AIに適切なプロンプト(指示文)を打ち込み、思い通りの構図が出るまでリテイクを繰り返すよりも、いらすとやの検索窓に「お辞儀 会社員」と入力してダウンロードする方が、結果的に圧倒的に早い場面が多々あります。
4. クリエイターに対する信頼と支援
欲しい画像を自分で生成できる技術がある一方で、BOOTHやpixiv、Patreonなどで特定のクリエイターの作品をあえて購入したり、メンバーシップで支援したりしたくなるのと同じ心理が働きます。素材の利便性だけでなく、「みふねたかし氏が描いた、あの絶妙な着眼点のイラストだから使いたい」という、作家性への信頼が根付いています。
生成AIは「世の中に存在しない、自分だけの特注の画像」を作るのには最適ですが、いらすとやは「誰もが安心して使える、共通言語としての画像」を提供するインフラです。これらは対立するものではなく、目的によって使い分けられる形で共存していく可能性が高いのではないでしょうか。
画像を用意する際、あえて既存の素材ではなく「ここは生成AIで作った方が絶対に良い」と感じるのは、どのようなシチュエーションの時が多いですか?
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